写真をやめなかった理由|数字より先に、自分の「いい」を持つということ
年が明けた。特別なことは何もなかった。いつもと同じように写真を見返して、いつもと同じようにパソコンを立ち上げて、気づいたら数日が過ぎていた。
それでも、年明けという区切りには、普段は流してしまう問いを立ち止まって考えさせてくれる力がある。「自分はなぜ写真を撮り続けているんだろう」と、静かに考える時間が生まれた。
## 派手な成果はなかった一年
去年を振り返っても、何かが大きく変わった、とは言えない。投稿数が急に増えたわけでも、フォロワーが跳ね上がったわけでも、写真が雑誌に載ったわけでもない。
それでも、やめなかった。
静かな風景を撮りたいという気持ちは、一年前と変わっていない。山の稜線に光が差す瞬間、水面に映る空、花びらの輪郭が逆光に透けるとき。そういうものを見て「撮りたい」と思う感覚は、数字がどうであれ消えなかった。
## 数字に引っ張られないこと
写真を続けていると、閲覧数やDL数が気になる瞬間がある。「この写真はなぜ見られないのか」「このカテゴリの方が反応がいい」——そういう思考が入ってくると、撮りたいものより「受けそうなもの」を先に考えるようになる。
それをやり始めると、写真がつまらなくなる。自分の経験上、間違いない。
だから今年は、数字を無視するのではなく、数字より先に「自分の基準」を置くことにした。自分が見て「いい」と思えるかどうか。撮った瞬間に「これだ」と感じたかどうか。その感覚を出発点にしたい。
## 「自分の基準」とは何か
具体的に言うと、こういうことだ。
光が面白いと思った写真を撮る。構図が決まったと感じた一枚を残す。現像で「もう少し落ち着いた色にしたい」と思ったらそうする。受けそうなビビッドな色にするより、自分が気持ちいいと思う色を選ぶ。
その積み重ねが、ブログの個性になると思っている。誰かが「この人の写真はなんか好きだな」と思ってくれるとしたら、それは演出ではなく、こういう小さな選択の蓄積から来るはずだ。
## やめなかったことが、唯一の実績
今年も、派手な宣言はしない。無理に記事を増やさない。バズを狙わない。ただ、撮りたい光の前に立ち続けること。そして、それを言葉にして残すこと。
振り返ったとき、「やめなかった」という事実だけが残っていればいい。それが今の自分にとって、一番正直な目標だと思っている。